そうですね…。
体における男女で考えるとわかりやすいかもです
セクシャル(身体の性) と ジェンダー(社会的性)。
肉体的な仕組みの話 は 基本的には「どっちも」はありません よね。
(男女の場合、厳密には違いますが)
一方で、そこから生まれる 二次的な傾向や性質、社会的な傾向は、個人差がある。
前者後者を定義するもの自体は
そういう 「一人ひとりが持つ個人性の話」でも、「身体性 ×個人性の 結果の話」でもありません。
ちなみに「前者後者を絡めた話」としては以下の4パターンがあります。
① 仕組みそのもの・定義の話(絶対どっちか)
② 仕組みからくる必然的な傾向(よほどの別要因がなければそうなる)
③ ①②の結果、社会的に置かれがちなポジション(傾向はあるが環境と個人特性のバランス次第)
④ ③のポジションの結果生まれる傾向(③になるなら、人はそうなる)
語る価値がある と思っているから語っていますが、レベルはいろいろです。
ただし①からつなげられない話は一切していません。
で、②以降はいろんな可能性がありますし、個人差の紛れがあります。
でも ①に関しては、仕組みの性質や定義上「どっちも」というのは考えにくいかな、とは思います。
例えば
「マイホームがあって沈む」という仕組みと
「常にオープン」という仕組みは両立しません。
だから「どっちも」というのはないと思っています。
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一方で、前者と後者の違いについて
「どっちもある」と感じる方が多い のは別の原因もあると感じます。
それは
・自分の特徴が「自分にとってあまりに当たり前」過ぎて意識していないから
・自分じゃないほうの特徴が「あまりに想定外」なため、自分の想像力の中でしか想像できないから
です。
そのため、言われてもピンときていない。
というケースが多いのです。
例えば日本しか知らなかったら、
「世界(外)から言われる日本の特徴」が どれくらい際立っているのかピンとこないでしょう。
逆に世界にどれだけの幅があるか も体験しなければ 中々わからないと思います。
ドイツ人がドイツで「自分は陽気なほうだ」と思っていたら
イタリアへ行って「陽気の概念自体が違った」てなる可能性もあるわけです。
偏見に偏見を重ねた例えですが^^;
前者後者を理解するには、自分の想像の「分母の外」
自分の持っている 頭の地図の「外」の空白を想像してみる想像力
が少しだけ必要だったりします。
でもそれが「あ!?」てわかると
見える世界が倍になりますよ!
前者後者は外国と違ってすぐ隣に存在する異文化ですから
ぜひお近くの前者さん、後者さんに実際に聞いてみるのが良いと思います!
日本語でする異文化交流は楽しいと思います^^